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本当のところ、、、

本当のところ、、、

何かを真剣に頑張って積み上げる人も、何もしない人、できない人も、

同じ人の身体に宿る「それ」として同じもの。

やさしくする人も親切な人も、傷つける人も罵る人も、そうでない人も、

同じ人の身体に宿る魂の「それ」として同じもの。

海の表面の波の動きをあーでもないこーでもないと言うよりは、静かに沈んで内側にわけ隔ての無い、一つの海のままにありたい。

そこには、別離は無く、波もなく、無限と永遠の答えがあると思う。

本当のところ、、、

この身体を神様へ返すときは、皆平等に必ず来るでしょう。

その時、この世界や最愛の家族や相手、仲間へ執着や未練があると、その魂はまたこの世界へ輪廻してしまうと先代たちは説きます。

逝く方も、見送る方も、それがあると互いにこのはかない世界へ縛られ縛り付けてしまうのです。

先立つ時、この世に最愛の人たちを縛り付けて逝くのは申し訳ない。

見送る時、この世に最愛の魂を縛り付けて離さないのは申し訳ない。

身体という電球は消えても、エネルギーが残っている証拠に、僕たちや世界の生命体は今も活動し続けている。

本当のところ、、、

波打ち際で砂のお城を作る時、子供はそれがつかの間の事で後には波が全てをかき消してしまう事を知りません。

成長し、いつ頃から、砂のお城のはかなさを知り、時間をかけて高いお城を作るのを辞めてしまったんだろう。

子供は知らない事で楽しむことができました。

僕たちは「無常」のはかなさを知ることで、そこで止まってはいけません。

全てが無常と知って、次の瞬間には波がお城をかき消してしまう事を承知の上で、なお、湧きあがる力によって笑って積み上げる事ができます。

それはとても美しい事だと思います。

合理性や理屈を超えた、個々に宿る内側の無限の「それ」のあらわれのようなもののはずです。

本当のところ、、、

「私の」身体、「私の」意識、「私の」アイデンティティー

では「私」とはいったいなんであるか?という問いは、とても大切で偉大です。

南インドで遭遇した覚者は、僕にこんな話をしてくれました。

「君の舌はこの世の全ての味を知ることができる。ね? 料理はおおろか、机や椅子だって舐めればその味を知ることができるだろう。」

「では、唯一、その舌が知ることのできないものはなんだい?」

しばらくの間、静寂が続きました。

「その舌自身だよ。」

「主体は客体を認識するが、主体が主体自身を知る事はできないんだよ。

つまり、我々は自分自身を知った事、触れたことは一度も無い。

我々が自分を知っていると思っている、自分のようなあらゆる対象は客体に過ぎない。

我々の本性は知られざる、決して触れる事のできない「それ」という何ものかなんだよ。

ここが言葉や智慧の限界で、ここから先は自分という窓口から、深く深く沈んで、自分自身でこの知られざるを知らないといけないね。」

ありがたくもこの身体を預かっているこの生で、大切な事ははっきりしてきた。

インドの声楽家の師匠がくれたサインの横に書いてくださったメッセージが印象深い。

「音楽はただただ楽しんで通過していくだけじゃないよ。それは僧門だ。一音一音、そういうふうに大切にくぐっていきなさい。」

Love & Bliss.

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