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【死を待つ家、そして、大事な選択。 音の旅03】

この記事は前回の【あんたか。俺に飯を食わせ、寝床を与えてくれるってのは。音の旅02】の続きになります。

まさかのオーストラリアでクリシュナ一色に染まった僕。

なんとなく「神秘」を求めてディジュリドゥを担ぎながらそのままインドへ。

カルカッタショックという言葉があるくらい、超絶に古びた町カルカッタに僕は着いた。

そこには、マザーテレサのボランティア施設があり、4つの施設の中の一つ「死を待つ家」で僕は2週間、奉仕活動を体験させてもらった。

「死を待つ家」はマザーが路上でどのような人でも、「最後に旅立つ時ぐらいは屋根の下で人のやさしさに触れて逝ってもらいたい。」という想いのもとはじまった活動で、実際、お世話をしていても毎日、お世話をしていた人が亡くなっていく、リアルな現場だった。

そこにはどんな宗教の人も平等に運んでこられ、逝くとき逝ってからもその宗教の人として、ネックレスなりその宗派の証を身に着けたまま見送っていた。

世界中の若者たちとともに、小さな頭と経験値で必至で向き合った日々だった。

滞在していたのはパラゴンロッジという日本人宿。

そこで僕は人生最大の、、、ともいえる選択となる出会いを果たす。

2つの日本人グループと出会った。

1つは、マナリという山とゴアというトランス音楽が盛んな場所の行き来を繰り返しながら年中インドにどっぷりいるヒッピーパーティーピープル達。

もう一つは、当時の年齢で同い年ぐらいの(23歳前後)若い人たちで、話をきけばこれからバラナシという聖地に行き、例年と同じく、半年間アパートを借り、住み、インド人の師匠に師事し、北インド古典音楽や舞踊を習うとのこと。

そして、もうこんな生活を18の時から5年も続けているという。

一日の練習は8~10時間はする。と聞いて衝撃を受けた。

さて、初インドの僕は2つのグループが共にとても大きな存在に思えた。

まるで自分は野生人、オーストラリアの中のジャングルから出てきた獣のように思えた。

なんとなく、どちらかについていきたい。いや、ついていく感じだ。その先に、わざわざガイドブックのようなベタなところを巡らなくても、ディープな世界が待っていると感じる。

1日迷った。

手にはディジュリドゥ。

派手で楽しい世界はゴアだ。

地味な音楽修行の道、バラナシ。

ましてや、僕はディジュリドゥを極めたいと思っている。

ただ、極め方をなんとかインドから影響を受けて模索しに来たはずだ。

この音楽修行仲間たちの中に身を置き、楽器は違えど、同じベクトルで積み上げることができたら。。。

自分としては勇気を出した選択だった。

電車の中で独り、ガンジスを想像した。

まるで宇宙的で、混とんとしカオスなイメージ。

戻って来れるのかな?

今から思えば、不安もあったんだろう。