

私。から、私たち。へ。
タイトルのまんまです。 今週末はKirtanFes2018の主催があります。 全国からキールタンの歌い手さんを京都に呼びさせて頂くわけですが、この日に限らずフェスや祭り、集会はどんなジャンルにおいても必ずと言っていいほどあるんじゃないでしょうか。 それは、個人としての「私」。 「私」の活動やアイデンティティ。 これらが、更に大きな集会で多様性の中で混ざり合うと、更に大きな器ができあがります。 その器の中で、「私」という個人性はありつつも、それとは別に「私たち」への意識への広がり、感じ方の変化なんかが起こるんじゃないでしょうか。(キールタンフェスでもそのあたりを楽しんでもらいたいですね。) そこにはきっと折り重なって共鳴し輝くものがあるから、人と人が、多種多様の表現が、混在し調和する集いはどの時代にもあり続け意味を持つんだと思います。 どんな小さなイベントでも集いですから、折り合いによる美しさがありますが、キールタンフェスの特徴は全員の合唱による大ウェーブ。 どんな多様的なウェーブが渦巻くのか今から楽しみです。 お声掛けさせてもらった演者さんも何年


ハンディキャップの方々とのヨガとキールタン
※記事中の写真は、施設さんから頂いた公開OKがでたものです。 週末は大阪のわらしべ園さんという施設での「手と手をつなごうヨガ祭り」にキールタンやバーンスリー演奏で参加させて頂きました。 初めて参加させて頂いた施設なので、今でも把握できていない事が少しありますが、少しだけ書いてみようと思います。 こちらの施設では、生活ヨガ研究所の珠数さんやそのお仲間講師の方々が毎月、こちらでヨガをシェアされており、こういったお祭りは3回目だそう。 触れ合ってみないことには、正直、何がしっくりくるか分からないなーと思っていたので、実際、はじまるまでずっとドキドキ。 始まりの時刻、なんと司会者は利用者さん自身で! 何名かにマイクを渡し、わらしべ園さんらしくスタート!! 正直、びっくりです。スタッフの方は後方支援のみ。 聞けば、なんと、実行委員さんも利用者さんで、一つ屋根の下の暮らしの中、たぶん、ずっと前から打ち合わせとリハーサルを繰り返したんだと思います。 こんな、待ちに待った素晴らしいイベントだなんて。しみじみ。 晴れて良かった。 来れて良かった。 ヨガといっても、


キールタン&声のワーク(サレガマパダニサなど)のクラスをスタートしています。
実は今年の春からキールタンのクラスをはじめています。 HeartGathering*を運営しはじめた4,5年前からもずっとキールタンクラスの希望問い合わせは何度もあったけど、「自分はバーンスリー奏者」だから。という意識や「声の専門家も存在するのに申し訳ない。」など腑に落ちない感覚が続き、ずっと断ってきました。 それが、今年の春、人生の大転機が訪れてしまって、人生の指針のようなものすら考え方が変わってきた。 それと同時に自分の凝り固まった頭と心に良い風もたくさん吹いた。 「Heart*を4年も主催し、キールタン自身は23歳で出会って13年も心から歌い続けて、今もなお恋焦がれている。それに自分はドゥルパドの師匠についた1年から始まり、その後もバラナシの大巨匠である声楽家デバシシデイ先生にも毎年、稽古してもらっている。大丈夫。声のワーク、キールタンの活動やクラスについて、必要とされるだけ全力で取り組もう。」 何故か自信と活力がみなぎった。 そうなるまではやはりそれだけ温める時間が必要だったんだと思う。 今も声の専門家だとは思わない。 でも、マイワールド


【繋がっている】音楽
夏野菜の並びが、秋野菜へと変わり、モミジや桜も色づいてきました。 喜びの秋の到来ですね~^^ さて、北インド古典音楽の「ラーガ」。直訳すると「色彩」だそうですが、ラーガは数百種類あります。その色彩印象のようなものがたくさんありつつも、即興で演奏するという不思議な北インド古典音楽。 北インドルーツのラーガは演奏するべき時間帯や季節、感情表現が指定されているものがほとんどです。 例えば、ラーガ「Yaman」は夕暮れ過ぎの優美な時間帯、表現は「愛」。 ラーガ「Bhairav」は日の出の刻で、「献身愛」。など このように習ってきたラーガ人生なんですが、ここ最近、自然への愛やあこがれが高まるにつれ、自分の演奏やクラスでの表現にも変化が起こりつつあるように思います。 今までは、なんというか、Bhairavを演奏するときに、「ああ、早朝だな~」とか「これを吹いて朝のフィーリングを深めよう~」といった感じ?もちろん言葉での形容が難しいですが。 ただ、本当に最近、恋焦がれている自然との繋がり。 be nature なんです。 その延長線上で呼吸や瞑想を深めるこの頃