堀田義樹さんへインタビューしました!

※2017年にインタビューさせて頂いた記事の復刻版です。







gumi: 今日はシンガーソングライターであり、キールタンリード奏者、また、morning lightsの代表であられる堀田義樹さんにお話を伺おうと思います。


義樹さん今日はよろしくお願いいたします!


義樹さん: よろしくお願いいたします!


gumi: 義樹さんの経歴はホームページのところを少し読ませて頂きました。


でも、もっと知りたいなと思ってて。


北海道 札幌市出身で、家族の影響で幼い頃から讃美歌と楽器に親しむ。ってあって、もういきなり、えっ!(笑)となったんですけれど、その辺の頃のお話をまず伺ってもいいですか?




父親が牧師で小さい頃から賛美歌に触れていた義樹さん。しかし心の中には、自分の家庭環境に対する強い抵抗があった。


義樹さん: 実家が教会で、父親は牧師なんですよ。母親がオルガン弾いてたから、ほんと小さなころから讃美歌を聞いててね。


gumi: その頃から、歌ってた ?


義樹さん: 記憶もないけど、その頃からだろうね。


gumi: 子ども心ながらに ナチュラルに、神様のことを思ったりとか、そういうのってありますか。もしくは逆に抵抗があったとか。


義樹さん: 正直、抵抗がスゴくあった。


gumi: まぁね(笑)、子どものころはなかなか難しいですよね・・・


義樹さん: 学校に入る前は、それしか知らないから自然な事としてやってたんだけれど、学校に入ると自分の家が特殊な環境だっていうのを相対的に知るでしょう。


で、例えば、なんでうちは土曜・日曜は遊びに行けないの?とかーー土日は礼拝があるからね。家族でどこかに行くということもないし。


だから祈りということについては身近にあるけど、それ以外の部分で子ども心に辛いという体験がたくさんあって。

あとは、近くに大きなお寺があって、学校の友達にはお寺さんの息子が何人かいたんだけど、子供同士は大丈夫じゃないですか。付き合いはね。


でも、友達のうちに遊びに行くと、親御さんに嫌な顔されたりとか、実際、嫌味を言われたこともあった。

そういう体験が積み重なって、家は結構しんどかったですよ。学生時代は。


gumi: 子供心に傷ついたり、余計に悩んじゃったりとかありました?


義樹さん: すごく悩んだし、親にもすごく反発しましたよ。







バンド活動を始める中学時代。ジャンルはパンク、メタル。キールタンとは全く違い音の世界。


gumi: そういうのもあって、中学時代にバンド活動を始め、地元のライヴハウスに多数出演。


音楽性もロックというか 、そんな方向へ行った感じですか?


義樹さん: パンク、メタル(笑)。 基本、反発の音楽みたいな(笑)。


gumi: 親の理解は得られず?


義樹さん: 全く(笑)。でもね、うちは兄貴がずっとバンドでベースをやってたんですよ、学生の時にね。ビートルズとか ストーンズとか。音楽的な、影響というのは若いころは兄から受けました。うちに楽器が転がってたからね。オルガン、ピアノはもちろん教会で使うからあるし、兄貴のギター、ベース、そういうのもあったりして、触れてた。


gumi: それでギターを自然に始めた感じですか?


義樹さん: そうですね。今のところちゃんと習ったことないし(笑)、へたっぴなんだけど(笑)。


gumi: いやいや、とても上手ですよ。ギターは、何歳から?


義樹さん: 真剣に練習したのは、デビューしてからですよ(笑)。コードをなんとなく押さえられるとか、それまでは曲作りのためというか、ね。


gumi: なるほど。そうやって家庭環境の逆を行って、ライブハウスでライブに明け暮れる(笑)。


義樹さん: バレて学校に呼び出されたりとか(笑)。


gumi: あははは。まあ、そういう時代があって、その後その流れで活動の場を東京に移し・・・何歳から東京へ?




18歳で東京へ。プロとして活動を始め、メジャーデビュー。とても順調に進んでいるように見えた。


義樹さん: 東京は、18で来たかな。高卒の年ですかね。卒業してないんだけど(笑)


gumi: 卒業してないの、ワルっ(笑) 


義樹さん: 家を出たくてしょうがなくて。高校どうこうより、家を出たかったね。


gumi: ちなみに今は?


義樹さん: めちゃめちゃ仲良しです。今の趣味は親孝行(笑)。


母親は、子どもたちの中では俺のことが一番好きだから(笑)。


gumi: そっかそっか。後々に、そのへんの話も聞けたらな、と思ってたんで後に伺わせてくださいね!


で、東京へ移ったらCMソングなどでプロのキャリアをスタート。


義樹さん: そうですね。札幌でやってたバンドが結構、関東関西ツアーとかもしてて。


gumi: それはスーパーソウルソニック ?


義樹さん: の前。札幌のときにやってた。


その時に お世話になったプロダクションの人がいて、結局、そのバンドは辞めることになって。 ただ、東京出てくれば?みたいに言ってくれたんだよね。


まぁ、田舎もんですからね(笑)。お呼びがかかったと勘違いして (笑)。


それこそ今はインターネットで地元から発信もできるけど、我々の時は、音楽ずっと続けていきたいなと思ってもやり方がわかんなかったんだよね。


地元の先輩たちにも、カッコいい人いっぱいいるのに、なんか続けていけてなくてね。辞めちゃったりとか。


そういうのをたくさん見て、やっぱり東京に行かなきゃいけないってなってね、10代のときは。


gumi: 素晴らしいと思います。18で上京。


そして、スーパーソウルソニックのボーカルとしてビクターエンターテイメントさんよりメジャーデビュー。

これは計7年くらい?


義樹さん: そうですね。やってましたね。


gumi: スゴいですね。実は僕もYouTubeでチラッと見たことあって、スゴいですよ!


大人気だったと思いますけど、全国いろいろ行ったりだとか?


義樹さん: 津々浦々、行きましたねぇ。


gumi: ジャンルとしては、何になるんでしょう?

義樹さん: ロック。自分としては、70年代~80年代ぐらいの欧米、アメリカ、UKの音楽にすごく影響を受けていて。

デビューの ちょっと前ぐらいとかは、RADIO HEADとかね、そのあたりの音が すごい好きだったり。





レコード会社との契約、華やかに活躍を続ける中でも、ずっと模索が続いた。ついにストレスで入院した義樹氏。フリーランスになり変わっていく音楽活動、そして未来へ続く出会いが待っていた。


gumi: 作詞作曲アレンジも義樹さんですよね? 素晴らしいです。


そして2004年にフリーとなり、自身の活動と並行して始めた、ボイストレーニングが話題に。


フリーになったあたりで、またちょっと流れは変わったんですか?


義樹さん: 大ーきく。


gumi: そうですか。今まではロックバンドのボーカルだったけれども、それを抜けたという感じなんですか、もしくは解散?


義樹さん: 一応、活動休止ということにはなってるけど、事実上はもうやることないだろうなぁという感じで。

gumi: なるほど。きっかけとかあるんですか?


義樹さん: うーん、まあいろいろですね。


ずっと好きで音楽やってて、仕事にしようと思って、本当に続けるための手段としてデビューや契約があったりしたんだと思うんだけど。


なかなかやっぱりその中で、どう表現をしていけばいいのか、ずーっと模索してて。


答えが出ないまま、年月が過ぎていった。


gumi: 華やかな音楽生活の裏にも、そういう悩みのようなものがあったと。


義樹さん: もうドロドロでしたね。


やってる時はもちろん楽しいんだけど、レコード会社の中だと すべて枚数とか売り上げによって、本当にいろんなことが決定していくから、期待に添えなかったりとか、予定していた枚数に達しなかったとしたらーーこれは当時の自分の感じ方だけど、犯罪者みたいな(笑)扱いを感じる、受けるわけです。


で、どうすればいいのかなって。それから同じレコード会社、同じセクションの中でも、急に売れちゃう人とか、社会現象みたいに売れたグループもあって。


そうすると本当に、ジェラシーが湧いたりとかね。


最終的にはね、ストレスで入院しちゃったんです。


今となっては考えられないけどね、考え過ぎちゃってね。ホントに。


それで東京に来て初めて、入院したことで、2週間くらい静かにしてなくちゃいけない期間ができたんだよね。

その時にいろいろ考えて、これは別のやりかた何かあるんじゃないかなぁと。


gumi: 当時、何歳ぐらいのときですか?


義樹さん: 2004年だから32とか。30越えて、何もない状態になったという。


gumi: ターニングポイントって感じですかね。


それで、その後ボイストレーニングなどが好評を得て、、という感じで、活動自体は個人的に続いていったと書いてありますね。


そして、2009年にサウンドヒーラーでありキールタンシンガーのジーナ・サラさんとの出会いから、バクティヨガの練習で、歌うヨガ、歌う瞑想と呼ばれる キールタンを始める、と。







ジーナ・サラ氏との運命の出会いから、すべては始まった。


gumi:ジーナ・サラさんとは、どこで出会ったんですか?


義樹さん: YouTubeです。最初は。


gumi: とても綺麗な声で、笑顔も素敵ですよね。


義樹さん: それこそフリーになった後も、まだ契約があって。結構長いことね。


いろんな人と繋がっていたんだけどね、面白いぐらい周りに人がいなくなって。


gumi: ああ、そうなんだ。それはその、バンド、スーパーソウルソニックの。


義樹さん: 辞めた後ですね。


で、声のレッスンに声をかけていただけるようになったり、最初は作曲の仕事とかもしてたんだけれど、作曲とか、そういうお仕事を受けるよりも、一緒に声を出すというのが楽しくなって。


最初はオファーがあっても、そんなのできるのかなと思ってたんだけど、自分もプロになる前から、そしてデビューしてからもずっと尊敬している先生の下でトレーニングを受けてたので、それを自分なりに伝えられるんだったらってことで最初はやっていました。


それがすごく面白くなって来てはいたんだけど、この先どうしていったらいいのかな、みたいな感覚はずーっと続いてて、答えがなかなか出なかった。


そんな時に、今、オーストラリアにいるMICOちゃんて子がいて、彼女が、『すごいの見つけちゃった!』みたいな感じで教えてくれたんですね。


ジーナ・サラさんを。


たぶん僕が世界で一番再生してるんじゃないかなと思うぐらいに見て(笑)、あまりにも衝撃が大きすぎて、 この人に会いたいって思ったら、翌月に日本に来るって情報を見つけちゃって!


これは行かなくては、と。


歌をずーっとやってて、ずーっと迷ってた。


なのに、なんかね、ジーナさんの声と歌を聞いてたら、なんかこう『大丈夫、大丈夫!』みたいな 感情感覚になってきて。


なにがそんなに衝撃だったかというと、たぶん、今まで自分が聞いてた音楽というか、世の中にある恐らく普通にCDで聞けるような音楽のほとんどがアートというか、自己表現的なんだけど、そういう色合いがないというかね。それが何なのかなって思って。


gumi: その頃は、そのキールタンと言えばメインはインドの神様だったり、マントラを歌ってるんですけど、その中身すらあまりよくわかってないままに、なんだコレ!ってなった!?


義樹さん: なんだコレって。とにかく色ですよね。見たこともない色の声がそこにあって。


で、もっと知りたいなと思って。


例えば彼女の来日っていうスケジュールが一年間なかったとしたら、もうアメリカに行ってたかもしれないかな、というぐらいの衝撃だったから。


だから来てくれて本当にラッキーだったんです。







ジーナサラ氏のキールタンに参加した義樹氏が感じたのは、こんなに優しい瞑想はないということ・・・


gumi: 実際、会ってみて?


義樹さん: いやいや、やっぱりすごい方でした。


gumi:. お話とかされた?


義樹さん: 話もしました。ま、たいして英語は出来ないんだけど(笑)。


まず最初にみんなで歌うキールタンがあったんだよね。 その頃までも瞑想はずっと長いことやってた。たぶん10年ぐらい。


で、キールタンが終わるころに、ふと我に返って、ああ、こんなに優しい瞑想はないなと思って。


その日のこともすごくよく覚えてますね。


結局そのYouTubeで衝撃を受けた、声を聞いてワァーっと見えてきた色みたいなものとか、もうこれ「愛」なんだなと思って。


今は恥ずかしげもなく愛とか言えるけど、当時はちょっと恥ずかしい、愛、愛なんだろうかコレは? なんなんだコレは?みたいなね(笑)


でもやっぱり彼女がね、ホントそれをこう、何の遠慮も躊躇も恥ずかしげもなくバーンと開いててくれたから。

gumi:確かに。みんなのために存在してらっしゃるような安心感がありますよね。


義樹さん: そこから、キールタンて何だろうなっていう謎をいまだに解きつづけているって感じです。


義樹さん: 翌年にもジーナさん来てくれて、そこでキールタンナーダヨガ・ティーチャートレーニングを開催しててね。 ヨガの2日間の学びの場があって、それに参加させていただいて。


その間にも時々外国の方がゲストでね、キールタンで来てくださってて、そういうのには、できるだけ参加してました。


日本ではとにかく場がなかったから、そういうのを待つしかなくて。


で、ジーナさん翌年は来てくれたんだけど、その次の年は来なかったんですよね。


で、やっぱりちょっと心がザワザワして、どうすればいいんだ、どうすればいいんだ、となった時に、ああ、インド、本場に行ってみよう!と思って。


gumi: じゃあ、インドに行く目的の中心がキールタンのことだったり、マントラとか神様のことだったと…

義樹さん: それだけ。






なぜか縁の深いリシケシ。そこには義樹氏の二人のグルジ(先生)がいる。


gumi: すごいですね! どの辺り行ったんですか? 聖地巡礼?


義樹さん: いまだに何故だか分からないんだけど、最初から何故かリシケシにぴょんと行って。 行けばなんとかなるかなって。


gumi:直感?


義樹さん: 直感で。


gumi: 今では義樹さん自身がリシケシでリトリートなどを主催されてるわけですが。

義樹さん: そうなんですよ。不思議でたまらないです。


gumi: 最初からリシケシと縁があったのかな。


義樹さん: なんかね、時々思い返すんですよ。 なんでリシケシだったのかなと。

でも、全然それがわからない。


けど、2人の先生のところへ行ってはいまだに学び続けてる。


gumi: その先生は、マントラとかキールタンの先生なんですか?


義樹さん: ひとりはニティ・クマールさん。


ミュージックアシュラムという場所が、リシュケシのタポバンていうところにあって、その人のお姉さんがインドでとても有名なシンガーなんですよね。


結構家族が音楽をされている方が多くて、バジャン、キールタン、ダンスも教えてるかな、そこは。 ヨガもやってるし。


で、たまたま最初に泊まりに行ってたのがそのエリアだったんですよね。


なんかウロウロしてたら、たまたま見つけて。


gumi: タポバンエリアって、はじめからマニアックなとこ行きましたね(笑)。


義樹さん: ねぇ。考えないってそういう縁をいただけるのかなと。


それで、リシケシにいる間は毎日そこへ行って。


で、その翌年ぐらいかな。 今度はラクシュマンジュラエリアの方に、ミルマルジっていうタブラの先生がいらっしゃって、その奥様が、バジャン、キールタン、マントラを教えてて 。


gumi: ミルマルさんは日本、たまに来てません?


義樹さん: そうそう。安曇野のお土産とか持ってたな。


gumi: 僕、伊勢神宮の裏のお祭りで一度一緒に演奏したことあるかも(笑)


義樹さん: こういう話してると必ず何かある(笑)。


そういう出会いにぶつかる。


その方の奥様のケーヤ先生。 そこもリシケシに居るときは、毎日ですね。


ちょっと違うタイプですね。


で、マントラは、やっぱりそのケーヤ先生に習ってて、歌のほうはニティ先生のとこに練習しに行って。


gumi: 義樹さんのリトリートに参加すると、皆さんも一緒にその先生のところへ訪ねたり?


義樹さん: そうだね。ケーヤ先生のところに前回は一緒に行きました。


gumi: それも面白そうですね。


義樹さん: そうですね。なんか話ながら、不思議な縁の流れを感じるよ。 自分が特にイメージしてたわけでもないし。

なんか子どもみたいな気持ちになるんだよね、インドって。


gumi: 分かります(笑)







そしてやってくる様々な気づき。それはすべての宗教の垣根を取り払うものだった。


gumi:この頃は既に真逆な感じですね? 子どもの頃とは。


義樹さん: そうそう。


でもね、前後するけど、マントラを歌ったり、唱えたりする時に、瞑想的な感じですごくマインドが静かになってね。 ビジョンが浮かんできたりするときに、ちっちゃい時から、両親が教会の神殿にお祈りしてる姿とかとリンクしたりして、結局なんか一緒なんだなっていうふうに。 そこに気づいたりとか。