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【2004年僕は脱サラした。音の旅01】


2004年僕は脱サラした。 当時22歳。 それから、4年間、一度も日本に帰らなかった。 計3年半の企業在籍のうちに、一部上場など会社ドラマのピークともいえる流れを経験し、ちょっとした役職も与えられ、それはそれは貴重な経験だったし、上司や仲間も素晴らしかった。 東京勤務から退職、無職へ。 そして、志半ばだった音楽の旅に出た。 目指した先はオーストリア。 10代の頃から吹いていたが、企業勤めとともになおざりになっていた民族楽器ディジュリドゥをマスターする(という意気込みの)ために。

アボリジニの方はもちろん、現地の様々なアーティストや旅人とともに過ごしながら、がむしゃらにとにかく吹いた。 後半は数ヶ月、ダーウィンにて2人のディジュリドゥ職人に弟子入りし、工房に入っては来る日も来る日も、ディジュリドゥを制作した。 ユーカリの森へ入っては、シロアリが食った穴の空いた立ち木を探す。 とにかくエッジの効いたバイブレーションと繊細な音のなるディジュリドゥの制作と演奏を目指した。 ただ、この時は知る由もない。 後にインドに渡りインド古典音楽の道へと入門することを。 そして、がむしゃらに鳴らしている自分のディジュリドゥさえも、その音色にキー(調)があったことを。 つまり、この時点では僕は音楽のオの字も知らない野生児そのものだった。(今もそうですが。)

(ディジュリドゥ関連の写真がまったくなかったので、旅人たかくんのサイトより抜粋。週末のマーケットで、お客さんの名前を漢字にするという強引な出店をしていた僕。これ素敵だわ!タトゥーにするわね。って言われたときは焦りました。たかくん、ありがとう。)

         (同じくたかくんのサイトより。ダーウィンのマーケット)

アボリジニの文化から学んだことは、今になって繋がり始めた。 アボリジニの本にあった記憶の断片。 アボリジニの先人曰く、 「人が病に苦しんでいる? そりゃあ、そうさ。 地球を苦しめているんだもの。 私たちは自然宇宙と繋がっているんだから。」 そして、まさか、インドに旅立つ前に強烈なインド色を放つ人物と出会うこととなる。 命の恩人、神性への師、クリシュナの御名を延々と唱え歌い続けるSurabhiというおばあちゃんだ。 僕はインドにたどり着く前に、マントラを歌うこととなる。 当時23歳。 続く

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【CDリリースツアーライブ日程】

9月15日 15:00- @京都KITTEN COMPANY/ キールタンCD【rashiku - as you are】発売記念ライブ

9月16日 18:00- @川崎フィオーレの森/ *G u m i Kirtan CD Release Party with y u k a *

9月26日 19:00- @名古屋 薬草labo.棘キールタンcd発売イベント with 海洋ゴミ楽器

10月20日 時間未定 @三重 メロピーヨガ gumiキールタンCDリリースパーティー/ 詳細はまもなくアップ致します。

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